ブログ ちば菜の花会

ちば菜の花会は千葉県全域の男女共同参画社会の実現を目指して、講演会・学習会、地域交流会、懇親会、会報発行などの活動を行っています。

ちばなの花会講演会2017「女性と憲法part Ⅲ 女性の教育~女性解放の先駆者~ メアリ・ウルストンクラーフトと津田梅子」報告

梅雨明けてからお天気が崩れることが多く、、ときに肌寒くさえあったこの夏。
ようやくここにきて、また暑さが戻ってまいりました(それも猛暑!)。
みなさま、お変わりはございませんでしょうか。
長く涼しかっただけに、このところの暑さがいっそう堪えます。

たいへん遅くなってしまいましたが、6月に行われた講演会のご報告をしたいと思います。
今回、後援会の概要について、講師を務めていただいた白井堯子先生ご自身より会報誌にご寄稿いただきました。
白井先生、ありがとうございました。
こちらのブログでも、先生ご自身による講演会概要を掲載し、報告とさせていただきたいと思います。

講演会 女性と憲法part Ⅲ
女性の教育 ~女性解放の先駆者~ 
メアリ・ウルストンクラーフトと津田梅子


講師:白井堯子さん(千葉県立衛生短期大学名誉教授)
日時: 2017年6月10日(土)13:30~16:00
会場: 市川市男女共同参画センター 5階 AB室
主催: ちば菜の花会
共催: 市川市女性の集い連絡会
後援: 市川市
司会: 井上 孝枝 (本会世話人)
参加者: 51名


女性解放思想の体系的樹立者M.ウルストンクラーフト
◆メアリ・ウルストンクラーフト(Mary wollstonecraft、1759-97)は、18世紀後半に活躍した英国の啓蒙思想家。
◆主著『女性の権利の擁護』(1792)
彼女は、この書の中で、男女平等、女性の高等教育、経済的・精神的自立、政治的な権利(参政権・市民権)、職業選択の自由など、21世紀の今日でも真の意味では未解決になっている問題を取り上げ、論理化している。それゆえ、彼女は女性解放の体系的樹立者と呼ばれている。
◆なぜ女性は自立しなければならないのか。
彼女は、キリスト教と、理性を強調する啓蒙思想を土台にして論理を展開する。先ず、女性も男性と同じように死後に、あの世で不滅の魂を持ちうるのであるから、その不滅の魂を獲得するために、この世で努力しなければならないことは、美徳を身につけることだ(完成の域に近づくことだ)と述べる。
しかし、この美徳には、男は強く、女性は優しくとか、男は外で大きな仕事を行い、女は内側で細かな世話をやくというような性差があってはならない。神の定めた美徳への道はただ一つである。すなわち、男女とも、同じ手段によって美徳を身につけるべき。その手段とは、自立することによって、そして理性を磨くことによってである。それゆえ死後に不滅の魂を獲得するためには、「自立」は不可欠。(当時の英国では、キリスト教を信じていない人は、人間とは見なされていない)
◆ウルストンクラ―フトの生き方
彼女の生き方には、根深い因襲とキリスト教が支配する18世紀の女性のものとは思えない、いや今で
も目を見張るものがある。それを示す一例として、次に示すように彼女の、三人の男性との大胆な関係が
ある。
①スイスの画家フュースリの家庭に入って、彼の妻の座を侵すことなく、フュ-スリの精神的な第二の妻
 になりたいと望んだこと。
②アメリカ人イムレイと結婚し、女児を出産するが、イムレイが他の女性に走ったために、二度も自殺未
遂を試みたこと(キリスト教において自殺は大罪)
③その後、あらゆる支配権力、宗教、私有財産制度などを否定するアナキスト、ゴドウィンと別居結婚し、二人の間の娘メアリ(『フランケンシュタイン』の著者となった)の出産でこの世を去る。
このような彼女の男性関係は、彼女に道徳的に退廃した女性という烙印を与えたが、20世紀になってからは、自己の愛情に忠実に、主体的に生きた女性と言われるようになった。
◆『女性の権利の擁護』の評価
この書が、18世紀の社会の中でどれ程の悪評を蒙ったかは、想像にあまりある。ウルストンクラークトは、女性の権利を主張したのだから、獣に権利を与えようと『獣の権利の擁護』という本まで出版された。さらに彼女の生き方、特に男性関係が彼女の著作に暗い影を落とし続け、この書は出版されてから150年以上たってから、女性解放思想の出発点をなす古典として、また人類の半数である女性を目覚めさせた書として、ゆるぎない確固たる地位を占めるようになり、彼女が蒔いたフェミニズムの種は、全世界に拡がって成長することとなった。

オックスフォード大学で学んだ津田梅子
◆千葉県と関わっている梅子(1864-1929)
千葉県庁舎19階には、千葉県と関わりの深い人たちの肖像画が飾られている。その一つに梅子の肖像画がある。梅子の父親が佐倉藩士小島善衛門の子供であったからであろう。(津田という姓は、梅子の母方の姓)
◆梅子と米国
梅子は明治政府派遣の最初の女子留学生として米国に行き、ワシントンDC のランマン夫妻に育てられ、米国で初等・中等教育を受けて帰国。その後華族女学校の教師となるが、再度高等教育(大学)を受けるために渡米。1900(明治33)年に女子英学塾(現在の津田塾大学の前身)を創立したことは有名である。
◆梅子と英国
梅子は、女子英学塾創立の一年前という重要な時期に英国に行き、英国の女子教育・高等教育を視察したり、ナイチンゲールに会ったりしている。この梅子の英国滞在、特に彼女がオックスフォード大学内に創設された女子コレッジSt.Hilda’s Hallに籍を置いて勉学に励んだことについて、白井は英国で発見した数々の資料に基づいて話をした。この梅子の英国滞在は、英国国教会の重要な人物たちの夫人による招待であることや、日本の外務省(外務大臣大隈重信)が関わっていることなどが、日英同盟締結前の出来事として興味深い。
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